( コ ラ ム 4 )

「水彩作品入り年賀状20年」

五十嵐吉彦 2007.1.23

 私の今年の年賀状は私自身の水彩スケッチ作品をカラー年賀状にして以来満20年となる記念すべきもので、いわば水彩作品入りカラー年賀状20周年記念となる。この為、このコラムで少し年賀状について補足説明をさせて頂こう。私は昔から仕事柄、写真や絵の画像や作品入りの年賀状を圧倒的に多く頂く。年賀状は年に1回の行事であるが互いに元気に過ごしている事の無言の連絡と、お世話になった方々への挨拶でもありよいものだと思って、私は学生時代からも友人を主体に年賀状は出し続けているが、まとまった数量の年賀状を出し始めたのは1960年代の会社に入った頃からである。
 入社した会社は写真会社であるから写真が商品であり、写真入り年賀状を出すのは当然と思っていた。今ではカラー写真やカラー年賀状は当たり前の時代であるが、1960年代の当時はまだ白黒コピーと云えども現在の如く綺麗で、スピードの速いものはなかった。年賀状といえばもっぱら手書きで毛筆や版画が主であり、量が多くなると白黒印刷に出す時代であった。私はこの入社当時の若かりし頃は宣伝部に配属され海外宣伝を担当し海外向けの製品カタログや海外向け広報誌などを作っていたのでデザインや色彩またカラー印刷の知識が習得出来た。作っていたといっても私はメーカーの宣伝担当であるから自分自身で制作するのではなく、電通や博報堂等の広告会社、またクリエイテブデザインの会社の方々とお付き合いしながら作るのだ。主として新製品の商品特徴と販売コンセプトを明確に伝えてよいPR物をつくるのが役割であり監督みたいなものだが、デザインや仕上がり内容、又色彩を評価する能力は必要だった。
 1970〜1980年時代は写真も白黒からカラーが急成長していた時代であるが、その後写真方式のカラーコピーを担当した20年前の1988年から水彩スケッチ作品入り年賀状に切り替えた。この時のカラーコピーは今の様な普通紙カラーコピーはなく、超高画質の写真方式カラーコピーであり、そのPRの為自分の水彩作品入り年賀状を作成しデザイン会社等に出したのがきっかけである。ただ、個人用年賀状は量も多かったので水彩スケッチ画の原画を複写しネガを作り現像所で絵入年賀状を作ってもらった。今は自分でデジカメやスキャナーとカラープリンターがあれば簡単にきれいなプリントが出来大変便利である。
 会社時代私は写真の仕事はもちろん一生懸命しながらも水彩画の創作も継続してきたが、社員はアルバイト禁止の会社であるから販売を伴う絵の個展はしなかった。この為、私の作品入り年賀状は一方通行の個展と思って開始し20年が経過現在に至っている。この年賀状による発表を継続しながら、原画による本格的個展は2000年定年退職と同時に銀座で行ったのが第1回展と遅いのである。その後の私の第二の人生は淡彩やペン彩等水彩スケッチ画の普及活動と水彩スケッチを通じて中高年の皆様が健康で心豊かな生涯を過ごして頂く為の水彩スケッチ講師活動が主である。もちろん水彩画家として更なる研鑽を行い、よりよい作品を発表してゆく姿勢は変わりない。20年前の私の年賀状の水彩スケッチ作品を見ればその当時の事が蘇るが、今年は20年目の節目でありまた特別な思いがある。

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